EXIT兼近の原点「ぷりずん」解散理由と元相方・逢見亮太の現在
お笑い界のトップランナーとして不動の地位を築いたEXIT。トレードマークのピンク髪と軽快なトークで愛される「かねちー」こと兼近大樹ですが、彼がブレイクする前に結成していたコンビ「ぷりずん。」の存在をご存じでしょうか。甘いルックスと若手離れした華やかさで、東京・渋谷のヨシモト∞ホールを中心に熱狂的な人気を博していた実力派コンビでした。
しかし、ブレイク目前と期待されていた2017年、コンビは突如として活動休止に入り、同年末に電撃解散を発表。ファンの間では「なぜこれからという時期に別れを選んだのか」「不仲が原因だったのか」と様々な憶測が飛び交いました。あれから年月が流れた今、彼らが歩んだ軌跡、解散の知られざる真相、そして元相方である逢見亮太(おーみ)の現在の活動を、取材現場の証言を交えて徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「ぷりずん。」はEXIT結成前、兼近大樹と逢見亮太が吉本興業で組んでいた伝説のイケメン若手コンビ。
- 要点2:解散の決定打は逢見の活動休止と方向性のズレであり、ネット上で囁かれた深刻な不仲説は実態と異なる。
- 要点3:元相方・逢見亮太は芸人の枠を超え、俳優業やパーソナルトレーナーなどマルチな才能を開花させて活躍中。
【結成の原点】EXIT兼近大樹と逢見亮太が出会ったNSC東京19期生の軌跡
「ぷりずん。」が産声をあげたのは2013年のこと。吉本興業のタレント養成所であるNSC東京校19期生として出会った二人は、お互いの圧倒的な存在感に引き寄せられるようにしてコンビを結成しました。
札幌から単身上京し、芸人としての成功を誓っていた兼近大樹。当時の彼は過酷な環境を抜け出し、お笑い一本で人生を逆転させようとハングリー精神に満ち溢れていました。一方の逢見亮太は、端正な顔立ちとスマートな立ち居振る舞いで、入学当初から同期の間でも目立つ存在。逢見が「あいつと組みたい」と熱烈に兼近を口説き落としたことが、コンビ誕生のきっかけだったと語られています。
結成当初から劇場関係者の注目度は抜群でした。スタイリッシュな見た目とは裏腹に、泥臭くテンポの速い掛け合いを得意とし、渋谷のヨシモト∞ホールを主戦場にメキメキと頭角を現していきます。元ぷりずんの経歴を振り返ると、若手芸人の登竜門とされるステージで瞬く間にファーストクラスや上位ランクへと駆け上がり、女性ファンを中心に絶大な支持を集めていきました。
【M-1グランプリ戦績とネタ】若手劇場を沸かせた漫才スタイルと実力
見た目の良さばかりが先行しがちだった「ぷりずん。」ですが、漫才師としての実力も確かでした。吉本興業の劇場バトルを勝ち上がり、賞レースでも着実に結果を残しています。
象徴的なのが漫才の祭典における健闘です。ぷりずんのM-1グランプリ戦績を辿ると、2015年、2016年、2017年と連続して果敢にエントリーを重ね、激戦区の東京予選で3回戦進出を果たすなど、確かな実力を証明していました。ネタの基本構成は、逢見が軽妙な語り口でリードし、そこに兼近が予測不能な天然ボケをハイテンションでぶち込む王道のしゃべくり漫才です。
当時のぷりずんのネタ動画やライブ記録を見ると、現代のEXITに見られるリズミカルな掛け合いの原型がすでに完成されていたことが分かります。観客を巻き込むスピード感と、兼近の天真爛漫なキャラクターを引き出す逢見の巧みなツッコミ。劇場関係者の間でも「次のブレイク候補筆頭」と太鼓判を押されていました。
【電撃解散の真相】突然の活動休止から2017年11月までの決定的な経緯
快進撃を続けていたコンビに暗雲が立ち込めたのは2017年1月のことでした。相方の逢見亮太が突如として「体調不良および諸事情」を理由に活動休止を発表します。
賞レースに向けて勝負をかけるはずだった重要な時期に、活動の主軸を失ったコンビ。兼近は舞台に穴を開けないよう、ピン芸人として孤軍奮闘を続けました。劇場のネタ見せやライブに一人で出演し、相方の復帰を信じて舞台を守り続けたのです。この時期こそが、後に語られる「EXITかねちーの下積み時代」の中でも最も過酷で、精神的にも追い詰められた期間でした。
ファンが復帰を待ち望む中、2017年11月、公式に「ぷりずん。」の解散が発表されました。解散の決定的な理由について、後に兼近本人はメディアで率直に語っています。活動休止期間が長期化する中で、お笑いに対する熱量や将来的なビジョン、進みたいスピード感に少しずつズレが生じてしまったこと。歩みを止めたくない兼近と、立ち止まって自分を見つめ直す必要があった逢見。互いの人生を尊重した結果としての、前向きな「決断」でした。
「不仲説」の真実とは?噂の裏側にあった兼近とおーみの本音
人気絶頂期の突然の別れだっただけに、ネット上では「おーみと兼近の不仲説」が長らく囁かれました。突然の休止理由を巡って様々な憶測が一人歩きしたことも、噂に拍車をかけた要因です。
しかし、関係者の証言やその後の二人の発言を追うと、深刻な人間関係の破綻という俗説は綺麗に覆されます。兼近はブレイク後に出演したトーク番組やインタビューにおいて、逢見に対する感謝の念を何度も口にしています。 「おーみがいなければ、自分はお笑いの世界でここまで来られなかった」 「東京に出てきて何も分からなかった自分を引っ張り上げてくれた恩人」 とリスペクトを隠しません。
逢見側もまた、EXITとしてスターダムへ駆け上がった兼近の姿を温かく見守り、エールを送っていました。激しい衝突による喧嘩別れではなく、お笑いという過酷な世界を本気で生き抜くプロ同士だからこそ、中途半端な妥協を排して下した苦渋の決断だったと言えます。
【2026年現在】元相方・逢見亮太は芸人引退?俳優やトレーナーとしての活躍
コンビ解散後、二人は対照的な道を歩み始めました。兼近がりんたろー。と出会い「EXIT」を結成して社会現象を巻き起こす一方、元相方・逢見亮太の現在に迫ります。
解散直後、逢見は吉本興業に籍を残しながらピン芸人「おーみ」として活動を再開。新コンビを結成するなど模索を続けましたが、次第に自身の持つ抜群のプロポーションと演技力を活かすフィールドへと舵を切っていきます。一部で「芸人を引退したのでは」と囁かれましたが、単純な引退というよりは、表現者としての活動領域を劇的に広げたというのが正確です。
現在は舞台俳優としての出演を重ねる傍ら、持ち前のストイックな自己管理能力を活かし、ボディメイクのスペシャリスト・パーソナルトレーナーとしても活動を展開。SNSを通じて健康的なライフスタイルを発信し、多くのクライアントから支持を集めています。舞台で見せるシリアスな演技と、フィットネスを通じた自己実現。お笑い芸人という枠組みを軽やかに飛び越え、独自のキャリアを確立しています。
【下積み時代を経て】「ぷりずん。」の経験が国民的コンビ「EXIT」に与えた影響
現在のEXITの快進撃を語る上で、「ぷりずん。」時代に培った下地は決して無視できません。兼近大樹という唯一無二のキャラクターは、まさに逢見との二人三脚の中で磨き上げられたからです。
かつて逢見が兼近の「華」と「純粋さ」を見出し、劇場という厳しい荒波の中で鍛え上げたからこそ、りんたろー。という最高のパートナーに出会った瞬間、爆発的な化学反応を起こすことができました。また、相方の突然の休止によって味わった「いつ舞台に立てなくなるか分からない」という強烈な危機感が、兼近の仕事に対する誠実さとタフなプロ意識を形成したことは間違いありません。
失意の解散劇は決して無駄な遠回りではなく、現代のエンタメ界を牽引するスーパースターを生み出すための不可欠な助走期間だったのです。
【ぷりずん(お笑い芸人)】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:お笑い芸人「ぷりずん。」が解散したのはいつですか?
A1:2017年1月に逢見亮太が活動休止に入り、同年の2017年11月に正式に解散が発表されました。実質的な活動期間は約4年間でした。
Q2:ぷりずんの解散理由は結局何だったのですか?
A2:公式には方向性の違いとされています。逢見の長期休養に伴い、すぐにでも舞台で走り続けたい兼近との間で活動ペースや将来像のギャップが生じたことが直接的な要因です。不仲による喧嘩別れではありません。
Q3:元相方の逢見亮太は現在、芸能界を引退しているのですか?
A3:完全に芸能界から身を引いたわけではありません。お笑い劇場の専属芸人という形からは離れましたが、舞台俳優、モデル、パーソナルトレーナーなど、培った表現力と身体能力を活かして多方面で精力的に活躍しています。
まとめ:それぞれの道で輝きを放つ二人のこれから
EXITの栄光の陰に隠れていた前身コンビ「ぷりずん。」。結成から電撃解散に至るまでの4年間は、兼近大樹にとっても逢見亮太にとっても、青春のすべてを注ぎ込んだ濃厚な時間でした。
道は二つに分かれましたが、兼近はお茶の間を笑顔にする国民的スターとして、逢見は舞台やウェルネスの世界で自己を研ぎ澄ます表現者として、それぞれが確かな足跡を残しています。互いの存在を認め合い、過去を誇りに思いながら前進し続ける彼らのストーリーは、挑戦を続けるすべての人に勇気を与えてくれます。 (出典: ぷり ずん 芸人(Yahoo!ニュース))